ウォーキング 日光を歩く(勝道のみちコース)

旅 もうひとつの日光(史跡探訪路)

ウォーキングin日光◇歩きませんか日光路

「随想社発行・日光ボランティア編」の”もうひとつの日光を歩く”
にて紹介されている「・・みち」を歩いたレポートです。

歴史と世界遺産の街・日光の隠れた史跡を訪た。ウォーキングのご案内。

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           日光を歩(史跡探訪路  勝道のみち
日光を歩く(史跡探訪路
東町・稲荷神社のみち
東町・観音寺コース
勝道のみち
  ・全工程0,3km
  ・歩行時間 30分   
  ・花暦 7月 マタタビ
神 橋
蕪村句碑
板垣退助銅像
星の宮(盤裂神社)
星 宿
金谷ホテル
天海大僧正銅像
深沙王堂
太郎杉
杉並木寄進碑
本宮神社
四本竜寺紫雲石
四本竜寺三重塔
四本竜寺観音堂
四本竜寺庚申塔
行者道(滝尾古道)のみち
弘法コース
浄光寺へのみち
憾満のみち
アカシアの咲くみち
芭蕉のみち
せせらぎのみち工事中
西町・慈眼堂の道工事中
外山のみち工事中
霧降の道工事中
日光ツーデーウォーク
日光観光協会
奈良時代の末、勝道上人一行は古峰ガ原の修行地を発ち、峰々を踏破して大谷川、神橋の地に到達した。明星天子や深沙大王に助けられ、四本龍寺を創建する。ここに、日光山の歴史が誕生し、一千二百年もの歳月を経て、日光文化の伝統は今に受け継がれている。
第三章は日光のルーツともいえる、日光の開祖勝道上人の足跡とも言える史跡の探訪なのだ。

勝道上人は奈良時代735年4月21日、高岡の郷(現在の栃木県真岡市)で生まれたと伝えられています。勝道上人28歳のとき(761年)、下野薬師寺(栃木県安国寺)で試験を受け僧侶となりました。法名を厳朝(げんちょう)と言い後に勝道と改めます。
  766年(天平神護2年)3月、勝道上人32歳のとき大谷川の激流を渡り、山内地区に草葺きの小屋を建て、毎朝、礼拝石に座り、二荒山(男体山)の霊峰を拝しておりました。ある日、いつものように霊峰を拝していると、背後から紫の雲が立ち昇り悠々と大空に舞い上がって東北方面に吸い込まれました。勝道上人はこの壮厳なる風景に心を打たれ、その地点に急ぎました。その地点(紫雲石が、霊地と感じ、この場所にお堂を建て「紫雲立寺」と名づけたのが現在の「四本竜寺」と伝えられています。1200年以上になる日光山の歴史のはじまりです。
神橋バス停から金谷ホテル
勝道のみちは、ここから始まる・・・が目の前に度肝を抜かれるような青銅像がそびえ立っている。[23・天海大僧正青銅像]だ 天海僧正は、会津高田の出身で芦名一族とされる。比叡山に学び、関東に移った徳川家康と出会い仕えることになる。 天海は、信長によって焼き討ちされた比叡山の復興と天台宗の復興に力を入れ 、江戸城の東北の守護として、 東叡山寛永寺を建立。また日光山を支配し、関東天台宗を強化した。徳川三代の将軍につかえ、108歳で没す遺骸は日光山に葬られる。
 バス停より小高い山の上にある
[22・金谷ホテル]
を目指して坂を上り始めると大きく左回りをすると道路の右側(神橋の上)に朱塗りの鳥居の社がある[20・星の宮]である。ナントモ・・ロマンチィックななまえの神社であるがここも勝道上人にいわれのある史跡らしい「星の宮・磐裂神社」となっている。
金谷ホテルの手前に「ステーキハウス・みはし」があるがここは明治の館のグループ店である。とその脇にひっそりとあるのが[21・星宿]、みのがしてしまいそうな本当に小さな社なのだか、勝道上人が鹿沼から山や峰を越えて日光に着いたところがここだとされているから由緒正しいところなのだ?・・・
 「金谷ホテル」到着、
[1873年(明治6年)、ヘボン式ローマ字綴りでお馴染みのアメリカ人J.C.ヘップバーン(ヘボン)博士の知遇を得て、自宅の一部を外国人の方の宿泊施設とした[金谷カッテージ・イン]、これが[金谷ホテル]の始まりです。・・・・」金谷ホテルホームページより。豪華なランチなども可能らしい。確かに眺めというか眺望というか?すばらしい超高級ホテルなのだが・・・・少々高嶺の花の観あり?です・・・・下り始めて気がついたのですが、かなりの急勾配なのです。「雪が降ったら大変だろうな・・」と余計な心配をしつつこくバス停に戻る。
神橋から〜
[17神橋]は16年に一度改修工事をするのだそうです。去年(2005)の9月に長い改修工事を終えて一般公開されました。
 今回は橋の下まで見学が出来ました。あの橋げたが
ナント一本物なんです、驚きですね。何年も掛けて完全?乾燥をするのだそうです。日光の山奥ではもうすでに次の改修の準備のために大木が物色されているんだそうです。・・・・・とそのまえに神橋の前の広場に[19板垣退助銅像]が鎮座ましましていらっしゃいます。板垣退助は明治維新の「戊辰戦争」の官軍側の総指揮官だった・・・というのは一般的には知られていないことです。江戸城陥落の後、官軍は函館まで北上するわけですが、後に「板垣死すとも自由は死なず」の名言を遺して暗殺されたためか、野口の「官軍本陣の陣跡」など各地に板垣退助に纏わる史跡が残されています。
深沙王堂から本宮神社
 神橋の正面に地元では「蛇王権現」と呼ばれている[24深沙王堂]ここもまた勝道上人と蛇信仰などの「商売繁盛」の伝説がある。 ここからは「史跡探訪路」の案内板が出ています。深沙王堂と並んで、「とちぎ 名木百選」にも入る[25太郎杉]がある。車で通るときは 「おおきな杉の木があるなぁ〜」なんですが、 確かに巨木である。日光は杉が多い。杉並木の杉以前の「昌源杉」など古い杉が存在する。自動車社会の到来とともに交通に不便が生じるなど問題もあるのだが、文化遺産としての存続は願いたいものだ。という訳でここからは杉の中を歩くことになる。国道沿いに[26杉並木寄進碑]があります。同じものが同市内桑にもあります。前文漢文でチンプンカンプンなのだが杉並木に「・・・・二十余年をかけて、道路の左右並びに山中十余里に杉を植え、もって東照宮に寄進奉る。」というらしい山中が面白い、多分山の中だったのだわな〜・・・・・ここからは遊歩道が整備されている。鳥の鳴き声でも聞きながらしばし歴史の中へ(笑)・・・・・・・
 大小の石が引き詰められた参道を進む。さすがにこの辺りになると国道の騒音も少なくなり、静かな厳かな?雰囲気となる。この[27本宮神社]は勝道上人の創設といわれ、弥生祭の中心地となる
.

四本竜寺〜
本宮神社の裏手に四本竜寺が建っている。[29四本竜寺三重塔]は現在修理中である。この[30四本竜寺観音堂]は、大同二年(807)、下野国司だった橘利遠が千手観音を祀るために建立されとある。四間(約8メートル)四方の建物である。そして、紫雲石もこの一角にある。
 勝道上人は毎朝二荒の山(男体山)を拝することが日課であった。ある日、二荒の山を遥拝していると、上人の背後から紫の雲が立ち昇り、大空に舞い上がって二荒の山頂に吸い込まれていった。
 後日、その紫雲が立ち昇ったところが、この平らな石のところであったことが判り、[28四本竜寺紫雲石]と名付けられた。観音堂の正面にあるが[31四本竜寺庚申塔]良くは分からないが「日光型」といわれる数少ないものらしい。
 日光の二社一寺が生まれるその遥か昔、勝道上人によって日光が生まれた、そして今歩いてきた参道を、勝道上人も歩いたのだろう。


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