
平成の大修理を終え公開されている「神橋」を過ぎると、国道はいつの間にか120号線。大谷川 に沿って走ると「総合会館」。今回の「浄光寺のみち」はここからスタートです。
総合会館駐車場に車を置いていただいて、、道路沿い西側に目立つことはないが[58落合源七・巴快寛顕彰碑]があります。
ホテル「日光千姫物語」の脇を通って、ほんの少し歩くと、もう大谷川の川音が聞こえてくる。
古い町並みである、地図を見ると「匠町」とある。その昔東照宮の職人さんたちの住まいがあったかな?間もなく道路の右側に石の階段 [59磐裂(いわさく)神社]だ。
本殿は流れ造り(神社本殿形式の一。切妻造り、平入りで、屋根前面の流れが長く延びて向拝となるもの。神社建築中では最も多く、
平安時代にできたもので、宇治上神社が最古の例。 )と言われ明治9年の建て替えられたとされる。ここにも庚申塚がいくつかあり、庚申信仰の根強さが感じられます。
静かな佇まいに東照宮建立時のタイムスリップしてしまいそうです。聖徳太子の墓もあるらしのですが???
磐裂神社わきの路地に[60優雅な道しるべ]があるはずなのですが・何処・・?!ありました見逃しそうな、小さな石碑なのです。
刻印文字も風化されてほとんど判別不可能?がしかしその脇に「もうひとつの日光・史跡探訪路・憾満の路」のプレートが道路に埋め込まれている。
浄光寺表参道をすすむと民家の前に、自然石の簡易水道がズラ〜と8基並んでいる。[61石升の水道]浄光寺付近の湧き水から来ているとの事だが、最近は渇水で梅雨時期ぐらいしか使えないと言うことでした。石升も素晴らしいのですが、地下管も貼り合わせの合わせ管だと言うのだからビックリ、根気よく石工たちがノミと金槌で大変な時間と労力を費やして作ったのだろうなと想像することが出来ます。
[62還源妙覚院浄光寺]へと続くの表参道現在は舗装され石畳になっている。1200年前、日光 の開祖勝道上人が山内に往生院を創設したのが浄光寺の起源であるといわれている。
参道わき・門前には庚申塚や数多い小さな名もない石碑などの供養等が歴史を物語っているようです。
朱塗りの山門は「板橋石」といわれる、日光では珍しい石屋根である。「還源山」の門額も幕末の著名な書家の筆とされています。浄光寺は地域の菩提寺である。山門をくぐるとそこはお墓であり、お寺である。入ると間もなく左手に日光では最古と言われる[63梵鐘]があります。現在は亀裂が入っているため使用されていません。
とにかく地蔵さんとが多い?そんな中でもひときわ大きな赤い帽子をかぶった地蔵さんが[64憾満親地蔵尊],大谷川の洪水で何度も流されたらしのだが、そんなに大きな大水害があった事は現在の大谷川からすると考えにくいのだ。
浄光寺境内の真ん中辺りの祠に[65菅笠日限地蔵尊]がある。「日を限って願い事をすると必ず叶えられる」と言う言い伝えのある、菅笠をかぶった珍しい地蔵さんだ。
菅笠日限地蔵尊の裏手の高台の[66防火隊碑]が2っ並んでいる。江戸時代に多くは八王子からだったとされている、東照宮の火の番のなくなった方々の慰霊碑である。そんな関係から現在は八王子市とは姉妹都市となっている。そのとなりに[67文豪連理塚]があります・・・・が見逃す・・?
赤お帽子のお地蔵さんがあっちこっちに並ぶ境内を進む。小さな祠の中に真っ赤な帽子と前掛けのお地蔵さんが3体祭られている[68導き地蔵尊].。中央の大きな石仏は日光で現有する一番古い物とされている。ここから右手の小高い丘に[69座禅院権別当の墓]がある。室町時代の日光の200年にわたる山守・座禅院15代の墓、「昌源杉」の14代権別当昌源の墓もここにある。
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