ウォーキング 日光杉並木公園

旅 日光杉並木公園

もう一つの日光の旅◇ウォーキングin日光★歩きませんか日光路
日光杉並木/杉並木公園とその周辺
世界遺産の町日光のもう一つの旅、 四季折々本当の日光のすばらしさを歩いて感じてみませんか?
地元のウォーカーのウォーキングハイキングポイントを、ぶらっと日帰りでのとっておきのコースをご案内します。
日光杉並木公園とその周辺の
日帰りの
ウォーキング
ポイントのご案内
スポンサードリンク】
ウォーキングin日光★歩きませんか日光路トップ杉並木公園とその周辺杉並木物語

日光杉並木/杉並木公園とその周辺

歩行時間約1時間
 日光杉並木公園は国道119号線(通称日光街道)と東武日光線の間にある全長6,5m約1時間のコースではあるが変化とんだウォーキングコースである。夏は日差しを巨杉がさえぎり、うっそうとした杉並木の中はさまざまな花たちが迎えてくれる。東武日光線上今市駅の駐車場から線路沿いが 「杉並木公園」となる。
最初に出迎えてくれるのが「世界の水車」−重連の水車だ。軽やかな水音が心地よい。一段階段を下がるとアジザイ園、梅雨から夏が見ごろとなる。小高い丘は「杉並木鑑賞の広場」・・・なのだが、休憩所らしい。
近くに西暦767年と言うからなんと1200年も昔になるふるい神社があ
る「高尾神社」、この境内には野生種の「ギボウシ」咲く。
ギボウシが咲く神社として、花時期には素人だろうと思われるカメラマンが高級なカメラを担いでにぎわう?
とにかく公園内はたて横に縦横無尽に小道が整備されている。市花の「かたくりの花」を始め、様々な植物も楽しませてくれる。
杉並木公園に入るとすぐに重連水車が軽やかな水音立てて出迎えてくれる、圧倒する物があるここの杉並木公園は数台の世界の水車が動いている。何のために使ったものかは定かではないがすべての水車が、一本の釘も使っていない全木組みなんだそうである。
 道路が分岐する左側に上ると、「日本庭園」にでる。おちついた佇まいに庭園にそば引き小屋が建って
いる。もちろん水力だ。この先の報徳そばをここで挽いている、運がいいと見れることがある。

竹やぶの中の進むと、「植物園」に出る。北向きの斜面に三段になって、さまざまな日光の花が咲く。植物園の西側の土手に4月に、他より多少遅く市花でもあるカタクリ群生している、というより大事に育てていると言ったほうが正確であるが、数年後・いや数十年後には土手いっぱいに咲き誇ることだろう。
 
竹やぶの中の進むと、「植物園」に出る。北向きの斜面に三段になって、さまざまな日光の花が咲く。植物園の西側の土手に4月に、他より多少遅く市花でもあるカタクリ群生している、というより大事に育てていると言ったほうが正確であるが、数年後・いや数十年後には土手いっぱいに咲き誇ることだろう。
瀬川の住宅地を抜けると、ここからが旧日光街道のたたずまいのある昼でも薄暗い杉並木となる。
 杉並木と言っても「日光街道」「例幣使街道」「会津西街道」と三街道を指しています。
この歴史は370年程さかのぼる事になりますが徳川家康公に家臣として仕えていた川越城主・松平正綱(徳川譜代の家臣)が献上した20万本余りの杉苗を東照宮の参道に植樹した事に始まります。

この植樹は20年余りの歳月を費やした一大事業でした。現在約13000本の杉が全長37kmにもおよぶ世界一長い杉並木であり日本で唯一、特別史跡と天然記念物の二重指定を受けている貴重な文化遺産です。
日光への道は美しい、空を覆う老杉の並木が年間約650万人の旅人を導いてくれている。
遠くは300余年前、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたって将軍家に仕えた松平右衛門大夫源正綱が日光神領に当たる区域(上記の区間)に20年の月日をかけて植樹し慶安元年(1648)家康公33回忌に東照宮への参道並木として寄進、その後正綱の子正信が父の遺志を継いで補植事業を成し遂げ親子二代にわたり杉並木を完成した。松平親子は苗木を熊野から取り寄せ日光の小来川地域で10万本の苗木を育成したと伝えられている。

今市市は、かの二宮金次郎が終息の地でもある。様々な水車群を過ぎると杉並木公園も終わりである。茅葺の「江連家」の広場に出る。「報徳そば」旨い。昼食はいかがですか。

 大名行列の、のどかな良き時代からオートバイや車で疾駆する現代まで日光の道はこの杉並木に代表され昭和27年3月29日新しい文化財保護法で「特別史跡」及び31年10月31日には「特別天然記念物」に指定された、特別史跡と特別天然記念物を兼ねているものは他に無いのではなかろうか。
現在残る巨木は約12,800本、だが風倒・自然倒・落雷・危険木の伐採により毎年約80本の貴重な巨木杉が姿を消しているのが残念である。
 杉並木の管理も色々と変わった、江戸幕府時代は日光山領として日光奉行所が管理していたが菊が栄え葵が枯れた明治には国有財産として内務省所管になり、道路拡張のため並木敷地が削られたり、会津街道の並木の一部が切られたりしたが明治38年に並木のみ日光東照宮に払い下げ樹木の処分権が認められ現在に至っている。

 老境に達したといわれるものの、その巨大な規模と荘厳な美しさをまのあたりに見られる現在、先人の貴重な遺産の意義をもう一度考え、車窓からの眺めではなく、この杉並木街道を二社一寺に向かって歩きこの巨木に手を触れたとき年齢の教えるなにかを感じ取り旅の楽しさとは別の楽しさに触れるのではなかろうか。

 今市より日光までの約8.5kmの道が「日光街道」で特に今市=野口間は車道が並木の南側に付けられた国道を走るので杉並木道は未舗装のままなので最も昔の面影を残し特に素晴らしい地域で現在は車の乗り入れが規制され安心してゆっくり歩いて杉並木を鑑賞することができるのでお勧めしたい。

 この区間は真っすぐな並木道が続いている処で写真集や絵葉書でおなじみのところである。

 今から133年前の戊辰の戦いに官軍の大砲の弾丸が当たった「砲弾打込杉」が残っている、この周辺の倒木を調査すると時折り鉛の弾が発見されることがある、ここから少し先の通称「十文字」は幕府軍との激戦区だったのだそうだ。

「銀杏杉」は根元が銀杏の葉の形をしたものがあり、その根張りは8mもある。ゆるい上り坂なのだが、心地よい勾配なのだ。
十文字からわずかに進むと野口地区の集落にでる、右手にど〜んとがある釣鐘「野口の薬師堂」に着く。この釣鐘は何時・誰が・なんのために・・・・がさだかではにようである。通称「野口の薬師さま・・」裏手に道祖神がある。勿論巨大な男性のシンボルが祭られている。江戸時代の書物にも登場する由緒正しき???道祖神なんだそうであるが、さだでは・・・・
それにしても狭い、昭和の始めまでここをバスが走っていたというから想像が難しい。家康は通らなかったとしても、三代将軍家光がまさにこの道を時代劇のドラマの如く大名かごに揺られて東照宮まで行ったのである。
そろそろ天然記念物の日光杉並木も終わりに・・・・ではないにである、日光市内まで続くのであるが、歩道が整備されていない国道119号線は、この杉並木のために道路の拡幅ができないのである。国道と交差したら折り返そう。
 折り返して間もなく右折しみると、なんとも素敵な雑木林がありますよ。さらに大谷川沿いに日光・大谷川公園が続きます。

 テクテクと素敵な日光・杉並木の旅と心地よくウォーキングをお楽しみください。
アクセス
 東武線上今市駅
 車ー日光・宇都宮道路今市インターより国道120号線日光方面 
杉並木物語
杉並木枝おろし事件
日光社参
街道の変貌
これからの杉並木
杉並木の見どころ
今市宿
報徳二宮神社
如来寺
唐人小屋
浄泉寺
今市市報徳役所
高尾神社
水車群
砲弾打込杉
十文字幕府軍陣地跡
瀬川大日堂七本杉伐痕
野口薬師堂
追分地蔵尊

スポンサードリンク】
歩きませんか日光〜TOP 
杉並木公園周辺 |大谷川遊歩道周辺 |霧降高原と隠れ滝東照宮周辺 |戦場ヶ原(奥日光)周辺今市植物誌ウォーキングはなぜいいの
 野岩鉄道の旅  
甚平さんの山菜料理 | 栃木の百名山に挑戦  Link   Linkについて