【十文字幕府軍陣地跡】
野口・瀬川境いの街道を北瀬川と和泉に入る細い小径が交差するので地名となった十文字。戊申役のとき、ここの突出したカーブ土手上に旧幕府大鳥圭介軍が 塁陣を設け防備につとめた。しかし、北村長兵衛の率いる十一番砲隊をはじめとする官軍数隊の猛攻にあ
い、砲火をおさめて日光山に退去した。いまも並木越しにみる直道付近は日光攻防をめぐり、激しく戦ったありし日をほうふつとうかがわせる。
砲火をおさめた翌日、官軍の将・谷干城は従卒と共に瀬川村方面の地形偵察におもむく途中、従者五・六名を随う赤衣をまとった僧二人が扇を掲げて谷監軍を招き、会見を申し入れたギ城がこれに応ずると、両僧は「日光山の僧、安居院慈立・桜本院道純であるが、幕府軍は既に日光を立ち退いており、日光は険難の地ゆえ、もしここで戦えば多くの犠牲者を出し、神廟東照宮も焼け失せることであろう
から、しばらく戦いを止められるように」日光山の運命を一身に負い、誠を尽くして嘆願した。千城がこれを了解し、本陣に帰り議することの約したので両僧は喜び帰山した。官軍の総督板垣退助の大きな決断によりはからいで、日光は戦火から免れることが出来た。一命をかけた劇的な会見もこの付近で行われていた。
東武上今市駅より250m 徒歩15分
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