【報徳二宮神社】Houtokuninomiyazinzya
如来寺に隣接する旧県社で、祭神は二宮尊徳命で二宮尊行(弥太郎)・富田高慶を合祀する。二宮尊徳は幕府の普請役格に登用され、嘉永六年二八五三)より日光神領八十九ヵ村の復興開発につとめたが、志半ばにして病に倒れ尊徳先生墓所た。死期をさとった尊徳は門人に「分を越え墓石を建てるなどの葬儀をしてはならない。
ただ土を盛り傍らに杉か檜を植え置けば良い。必ず守るように」と遺言し、安政三(一八五六)十月、今市報徳役所で没した。享年七十。如来寺で葬儀が営まれたが、尊徳を慕う弔問の列は役所から如来寺まで続いたという。
法名誠明院功誉報徳中正居士。家族の意志で墓石が建てられた。
明治14年ごろ、根本源庫らの主唱により、神社建設の話が進められたが時至ら、門人福住正兄や静岡県の報徳社員松島吉平らの思慕崇敬から発した勧告に地元今市の有志が奮起浄財を募り、同28年漸く建設工事に着手し、30年遂に社殿が竣工、11月鎮座祭を執りおこなった。
栃木県史跡指定の墓所は本社裏にあり、墓前に松島十湖の『明安し我もひと夜の御墓守』の句碑が建てられている。
境内の報徳文庫には静岡県の鈴木藤三郎が尊徳の遺書約一万巻が二宮家に所蔵されていることを知り、これを謄写し二千五百冊に編んだ写本をはじめ、縁りある多くの遺品を保存展示している。
徳訓
父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
吾身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食往の三つにあり
衣食住の三つは田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の銀難にあり
年々歳々報徳を忘るべからず
東武下今市駅より二〇〇メートル徒歩三分
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