【唐人小屋】
上今市駅前一帯の小字名を唐人小屋という。むかし、日光参詣の朝鮮通信使一中国や朝鮮の人々を唐人とよんだ)一行の宿泊所があったのでこの地名が起きた。小屋というと大変粗末な建物にきこえるが、将軍の宿休泊所である如来寺御殿に対してへり下って云ったもので、寛永十三年二六三九)・同二十年両度と明暦元年(ニハ五五)に朝鮮通信使が来朝、日光山参詣の際の旅舎に充てるため、麦畑数百間を潰して、一万余両をかけ、わざわざ江戸より木材を運び、秋元泰朝が幕府の命によって新造したものである。
寛永十三年(ニハ三六一の通信使一行は二百十七名で、宗対馬守が先導、今市小屋饗応は水谷伊勢守、日光では松平信綱を総督として、阿部重次・松平正綱・秋元泰朝らが礼をつくし、寛永二十年の登山にあたっては、今市小屋饗応は浅野内匠頭長直が任についている。また、明暦元年二六五五)登山の三百二十二名の饗応には内藤豊前守らが任につき幕府の威信を海外にひろく示したが、今日旅舎の跡方もない。
東武上今市駅前一帯 徒歩三分
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