【浄泉寺】
浄土宗に属し、上町の薬師さまで知られる。元亀三年(1572)の草創と伝え、はじめ日光上和泉村にあり、上泉寺と称したが、慶長年中(1596一1615)慶誉厳長和尚が今市宿(現在春日町)に移し、如来寺の末寺として瑠璃光山清光院浄泉寺に改められたといわれる。
慶安四年(1651)大猷院殿(家光)御宝棺が日光山に向かわれるとき御小休になっている寺で、境内には小児の夜泣き止めで信仰をあっめた沢蔵司稲荷があり、子育て稲荷ともよばれる。
尊徳以来、沢蔵司稲荷二宮家はこの稲荷信仰があつく、子息弥太郎は安政六年(1859)二月に寄進した玉垣にその子金之丞(三歳)・延之輔(一歳)の名を刻み、文久二年(1863)には節約した金十二両を永久修復料として寄進、地元民への貸し金利子を積み立て、一割の利子のうち三分を世話料と雑費に、残り七分を複利計算をもって稲荷の維持管理にあてる御修復永久増益仕法を創設した。明治十五年浄泉寺とともに全焼したが、同十九年(1886)再建され、仕法は大正時代の中頃まで続き、稲荷は仕法跡として今市市文化財に指定された。境内には聖徳太子堂・弁天社がまつられ、江戸期の俳人斎藤珠明(俗名三郎右衛門益信・法名照誉義観信士)の墓がある。
東武上今市駅より一〇〇メートル 徒歩三分
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